”作り込む”
皆さんこんにちは。ラムベントお手伝いのワタベです。
聞いて下さい!今日の稽古、とっても面白かったんです!
と言っても、やっている事はいつもの稽古と大して違いはないのですが、でもなんだか違ったんです。
何がかと言いますと、その“作り込みのレベル”です。
今日の稽古は、もう何度もやってきたシーンでした。いつものようにキリの良い所からスタートして、キリの良い所でカットする…ごく普通の練習風景です。しかし何度も合わせたこのシーン、演出家テラダの指示も、役者の動き方も、とても煮詰められたものになっていました。
例えば、視線。舞台装置には無いけれど、登場人物達には見えている景色。その景色はどんなもので、それを追う視線や理由はどういったものか。
例えば、台詞の無い時の動き方。台詞は無いのに舞台に立って動いている登場人物。何をして、またそこにはどういった理由があるのか。
例えば、表情。台詞も無く、大きな動きも無い。しかし確実にこの時その登場人物が湛えているであろう表情。
こういった事を、丁寧に丁寧に考えて行く訳です。そしてキャラの動き、そのタイミング、それらを固定して、お客さんにより分かりやすく見てもらえるよう演出する訳です。
それはもう、これまでの他のシーンと比べたら、格段に作り込みレベルが違うな、と感じてしまいました。「何故」を詰めていく事によって「行間を読む」というのでしょうか。そして行間を読む事によって登場人物達が固定されて行く訳ですから、当然今度はアレンジの方、「お客さんに分かり易く見せる」演出が出来るのです。
いやはや、大変個人的な感想で恐縮ですが、本当に面白かったのです。
実は私、台本を貰ってから、わざとあまりちゃんと読み込んでいませんでした。(読み込んでいない理由はこれまたとても個人的な事ですのでここでは割愛させて頂きます。)そんな私は、いつもなんとなーく稽古風景を見て「何のシーンなんだ」「どんなシーンなんだ」と感じていたのです。が、いや、今日のシーンは「何をしているのかはっきりと分かる」シーンだったのです。
つまり、“作り込まれている”という事です。台本をまともに読み込まず、しかもあるシーンのみ抜粋してそこだけやっているのを見る。しかし何をしているのか分かる。これはもう、「良く出来ている」という他ないのではないでしょうか。
いつもの稽古は、ザッと流して所々修正を入れて行くものです。ですので細かな所は結構フリーだったりします。それが、今日の稽古では細部にまで拘って固定して行く。そういった所が“いつもと違う”と感じた所でありました。
こういう稽古は、もしかしたら単純に私の個人的好みというだけで、業界からすれば大した事ではないのかもしれません。しかし私はどうしても「面白い」と感じてしまいました。
以前こちらで「その日の10割を積み上げて」というお話をさせて頂きました。
やればやるだけ、練習を重ねれば重ねるだけ、やはりそれ相応の煮詰まり方をして行くのですね。