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役者は楽しまないと。演出は苦しまないと。

  • 2014年11月10日
  • 読了時間: 5分

皆さんこんにちは。ラムベントお手伝いのワタベです。

突然ですが、皆さんは演劇に“どの立場で”関わっているのでしょうか。“どの視点から”と言ってもいいかもしれません。

いきなり訳の分からないお話ですが、実は昨日、寺田がこんな事を言っていたのです。

「役者は楽しまないと。演出は苦しまないと」

はて、うちの寺田はおかしなことを言いますね。役者が楽しんでいるのなら、演出だって楽しんで良い筈です。というより、演じている人間が楽しいのだから、それを見て演出を付ける人間だって、自然と楽しい筈です。さてはて、うちの寺田は、一体何が言いたかったのでしょうか。

「己の役を愛せよ。愛の為に演じなさい」

昨日の稽古中、寺田はこんな事を言いました。なんでも、「演じる役を演者自身が愛していなかったら、誰にも好きになってもらえない。下手でも、演じている本人がその役を好きでないと、見ている人に響かない」んだそうです。

これはなんだか、分かる気がします。少女漫画なんかで良く見る「自分の事を好きじゃない人は、他の誰にも好きになってもらえないんだからねッ!」的な事だと思います。魅力的な人というのは、堂々としていたり明るかったりと、つまり“自分の事が好きな人”です。言い換えれば、“自分をちゃんと認めている人”という事です。

多分この寺田の台詞でもそれが当てはまる訳ですね。「先ずは自分から愛せよ」。そうすることで、その人の魅力が、他の人にも自然と伝わる訳です。

確かに、厭々演じられても、きっと見ているこっちは気分が良くないです。

幼稚園児のお遊戯会って、やっている事は大して凄くもないし、それを見る事によって何か得をするって訳でもないのに、楽しそうにお遊戯している彼らを見ていると、なんだかとっても楽しい様な、嬉しい様な気持ちになりますよね。

つまりはそういう事で、技術的な事がどうとかではなく、やっている人の気持ちって、なんだか分かっちゃうんですよね。楽しそうにやられたら、別に大したことでなくてもこっちまで楽しくなってしまう。でも逆に、何の感情も無く機械的に超ハイレベルな事をされたら、いくら技術的に凄い事をしているとはいえ、それはなんにも響いてこないんだと思います。芸術ってそういうもので、“気持ち”っていうものが、かなり露骨に伝わってしまうものなのです。だからやり手側の、愛情ややる気といった気持ちって、とっても大切だし、きっと芸術に於いては最重要の項目なのです(勿論技術面をないがしろにしていいという話ではありません)。

役者は、自分の役をしっかり愛さなくてはいけません。そしてその愛の為に「このキャラクターはどういった人物か」「こんな時このキャラクターは何て言うんだろうか」「いつも何を考えているのだろうか」といった人物像をしっかり考えて、そのキャラクターの魅力を、最大限表現しなければいけません。それが、自分が演じるキャラクターを愛するという事であり、またそれが役者の“役割”なのです。

「役者は楽しまないと。演出は苦しまないと」

役者には是非そのキャラクターを愛してもらいたいし、またその愛故に、楽しく演じてもらいたいですね。

寺田はこうも言いました。「役を愛し演じるその過程で、そのキャラクターを憎んでほしい。憎む程愛してほしい」。

つまりは「役に没頭してほしい」という事ではないでしょうか。

一つの舞台に於いて、その役を演じる人はその人しかいない。それはつまり「世界にそのキャラクターは、もうその人しかいない」という事です。演者は没頭して、その役になり切ってほしい。役者にはそのキャラクターを愛して愛して愛しまくって、好きに動いてほしい。だってそのキャラクターには、その役者しかいないんですもの。

それがつまり「役者が楽しむ」という事。

では「演出が苦しむ」とはどういう事なんでしょうか。

台本があるとはいえ、役者は好き勝手に動きます。だって当然です。役者はそのキャラクターそのものになって、一人の人生を歩むのですから。台本がどうとかお話がどうとか、ちょっと関係無くなる部分があります。台本という入口を利用して、そのちょっとしたヒントを元にして、役者はそのキャラクターの生涯をつくる訳ですから。

でも演出家は違います。演出家には何より最重要な“台本”があります。演出家はそこにあるお話を、きちんとお話として成立させる義務があります。

演出家はキャラクターではありません。一歩引いた所から“お話”を見ているのです。謂わばお芝居を見ている観客と一緒です。観客と違うのは、演出家はそのお芝居を、見ている人が面白いと感じるよう、つくる側だという事。バラバラに生きているキャラクターを一つの舞台にまとめて、見ている人が「面白い」と感じるような物語に“演出”して行くという事。つまりは全ての“つくり手”という訳です。“神様”と言っても良いかもしれません。

バラバラに生きているキャラクターを一つの舞台にまとめた時、その物語は一体何者であるのか、舞台として切り取ったその日常やハプニングはどんな物語になって何を表現するのか、観客に何を伝えるのか、全ては演出家に全て委ねられている訳ですから。

それが演出家の役割であり、また演出家が「苦しむ」という事なのではないでしょうか。役者のように好きには生きられない。演出家は“つく”らなければならないのです。

さて、皆さんは演劇に“どの立場で”関わっているのでしょうか。“どの視点から”と言ってもいいかもしれません。

寺田はこう言いました。「役者は楽しまないと。演出は苦しまないと」。

勿論、この二つだけとは限らないですし、こういったつくり方以外の方法もあるのだと思います。ただこういった謂わば分業的なつくり方をする事によって、キャラクターはただ生きているだけの存在から、“物語”を得た存在になり、また物語は、“物語”に囚われない“生きたキャラクター”を得る事が出来ます。

役者が役に没頭し、演出家が演出に没頭する事によって、お互いが考えもしなかった面白いアイデアが、ポロリと出てきたりする事もあるのでしょう。「その演技良いね!もう一回!」とか、多分そういうやつです。お互いがお互いの役割に没頭する事によって、面白い化学変化が起きる。出来上がりは、きっと「ゴロゴロと粒ぞろい」といった風になっているのではないでしょうか。

「役者は楽しまないと。演出は苦しまないと」

寺田が言いたかったのは、そういう事だったのではないか。と、なんとなく考えてみる今日この頃です。

 
 
 

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