一種の“慣れ”
皆さんこんにちは。ラムベントお手伝いのワタベです。
さて、今日は通し稽古を2回もやってきました。ハードですね…!まさかの0時越え解散にびっくりのワタベです。しかも1回目と2回目の間には15分しか休憩(?)がなく、ほぼ立て続け。役者からも流石に「ちょっと疲れた」との呟きが漏れました。いやまぁそりゃ疲れますよね…2時間越えの芝居を立て続けに2回ですもん。15分の休憩(?)の間には、衣装替えや小道具の配置直し等々、次の通しの準備があるので、ちょっと一息、という感じではありません。松井は「間違えた台詞のチェックさえする余裕無いよ」とちょっとおどけてみせました。なんというハードスケジュール。
そこまでして、どうして何回も通し稽古をするのでしょう?ちょっと不思議に思えました。
だって通しが終わってから、“一先ず振り返り”の時間が無い訳です。また直ぐ様次の通しがある訳です。「疲れてるし、休憩したら一先ず振り返りしたら?」と思わずにはいられません。何故何回も通し稽古をする事に拘るのでしょう?
あまりに不思議だったので、帰り際に井上文華に尋ねてみました。「何回も通し稽古をする事で、何かそんなに変わったりする?」
すると井上文華はこう答えてくれました。
「何回も通し稽古をする事で“慣れ”が出て来る。場面転換時の自分の役割をしっかり理解して、ごたつかず綺麗にこなす事が出来るようになる。
あと、“気持ちのつくり方”っていうのがあるじゃない。通し稽古を何回もする事で、そのつくり方とか、気持ちの持って行き方とか、そういうものの“自分のリズム”をつくる事が出来る。だから抜き稽古の時よりも、それぞれのシーンが上手く行ったりする。抜き稽古だと、どうしても前後がブツブツ切れてしまうからね。」
なるほどなー、と思いました。
なんだか私、これが“お芝居”である事をちょっぴり忘れていました。“舞台”というと、どうしても“スケジュール通りにきちんと回す事”という考えが一番に出てきてしまうのです。でもこれは“お芝居”。“スケジュール通りきちんとこなす事”ももちろんですが、それよりも先ず第一に“メンタル”が大切なのですよね。以前にも少しお話した「役者の気持ちは、見ている側にダイレクトに伝わる」というお話。例えば役者が、気持ちの全く入っていない芝居や、技術に溺れて中身の無い芝居をしたら、きっとそれは見ている人にも伝わってしまうのです。そしてそれは全く心に響かない、面白くない芝居なのです。そうならない為に“気持ち”というのはしっかりつくらなくてはいけません。
で、その“気持ち”をしっかりつくるリズムを掴む為に、通し稽古を何回もする事は重要なんだと。例えば、自分が舞台に立っていない時の、次のシーンへの気持ちの持って行き方とか、そういう事ですよね。“集中力の保ち方”とでも言うのでしょうか。集中力を保ち続けたまま舞台に立つから、抜き稽古よりもいいシーンが出来たりするのでしょう。
いやはや、全く以て、「なるほどな」の一言です。ある意味これは「回数を重ねる事こそ重要」という部類の稽古かもしれません。
とは言え、通し稽古を重ねる事の目的は他にも色々あるのでしょう。演出家側からはどういった目的があるのか、これも気になるところです。
本場所を使える事によって、何度だって通し稽古をする事が可能です。何度も何度もテイクを重ねて、“慣れ”て、緊張感を持ちつつも、でもある意味余裕のある、良いものに仕上げたいですね。